社風とは?

2010年9月20日 06:30
            

 

 我が社には、未だ教育訓練計画がありません。もちろん資格取得や社外セミナーへの参加は積極的に勧めています。しかし、計画的な育成計画はできていません。
 
そこで、職業能力開発協会の先生にコンサルティングをお願いして、みんなで作っていこうと考えました。幹部の皆さんに参加してもらい、議論をし始めたところ、問題が起こります。我が社には、問題が多すぎて、取り組むべき課題が多すぎて、どれも解決できていない。まず、それを整理する事が先なのではないか?という意見が出たのです。
 
それでは、まず、我が社の根本的な問題とは何なのか? それを洗い出し、優先順位をつくろう、ということになりました。月に一度、就業後に幹部全員に参加をしてもらい、会議を行っています。 
 
 その中で、社風が問題になりました。なぜ 挨拶ができないの?なぜ、ルールが守れないの? それは、社風だからね???
 
 少し長くなりますが、福島正伸さんの著書「新・経営用語辞典」の中の「55・社風」の項を引用します。
 
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
私はある会社で、新規事業開発のお手伝いをする事になりました。何千人もの社員がいる大きな会社ですが、社内の新規事業提案制度に申し込んでくる案件は、年間に数件しかありません。担当者は困っていました。
 
「うちの会社は、しばらく安定していた時期があって、そのころから社員の意欲が低下していきました。与えられた仕事をこなしていくだけで、利益がでていたのです。新しい事を考える必要もなく、ミスさえなければ良かったのです。そうなると、やりがいが亡くなっていきました。だんだん社風も暗くなっていったのです。しかも、その後、不況に見舞われました。新規事業を生み出していかなければならない状況ですが、提案してくる人はほとんどいません。今まで、そのような社風がなかったのです。」
 
 その後、私はその会社の多くの社員と研修を通してお会いしました。そして、皆さんが口々に言う事はおなじでした。「福島先生、うちの会社、暗いと思いませんか?」
 
 私の研修の中に、「自立型問題解決法」というプログラムがあります。まず、職場や会社の問題を何か一つ探し出します。そして、その問題を前向きに受け止め、根本的な原因を自分自身に見出し、最後に自分の出番に変える、という内容です。
 
 案の定、多くの社員が、問題の欄に「職場が暗い」と書きました。そして、その問題を前向きに受け止めてみます。
 
○社員一人一人の気持ちをヒアリングして、社員の働きがいを知るチャンス
○それによって、他部署の社員ともコミュニケーションを取るチャンス
○会社の歴史を調べて、より詳しく会社の事を知るチャンス。
○お互いが思いやりにあふれ、誰もが楽しく働ける職場を、これから作れる  チャンス
○自分と会社との関係を振り返るチャンス
○自分自身が、どんな気持ちで仕事をしていたか振り返るチャンス
 
 次に、その原因を自分自身に見出します。
○いままで、職場が暗いのは、仕方がない事だと思って諦めていた。
○職場を改善するのは、自分の役割ではないと思っていた。
○職場が暗い原因を、自分から調べようと思っていなかった
○他の社員の気持ちを考えてこなかった。
○働く事や会社が好きではなかった。
○自分が暗かった
 
そして、自分の出番を作ります。
○まずは、社員にヒアリングするための、アンケートシートを作成する
○昼休み等の時間を使って、1人でも多くの社員とコンタクトをとる
○それらのデータをもとに、職場風土の改善提案を作成する
○朝、会社に着いたら、自分から元気よく挨拶をする
○自分の役割、夢を明確にして、働きがいを持って働く
○前向きな言葉だけを使うように心がけ、毎日、楽しく仕事をする
○会社の魅力を再認識して、会社をもっと好きになる
 
みんなが気付いたのです。
問題は、自分の出番である事。
すべては、自分の努力次第である事。
そして
*****************************************************
   今の社風は、今の自分の気持ちだった事、に。
*****************************************************
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 
社風って何? それに対して、自分はどうしたいの? 自分はどう行動するの?
共に考えて行きたいと思います。
以上
            

 

 延岡の中島鉄工所での父は、身内という事もあって大変厳しく育てられたそうです。作業終了後もひとり工場に残って溶接の練習を繰り返していたと聞きます。父の叔母にあたる菊おばちゃんがこっそり差し入れをしていたという話を、おばちゃんからは何度も聞きました。
 中島鉄工所で営業部長までやっていましたが、おじさんである中島社長が、ある現場の視察中に亡くなりました。仮設のために組み上げた鉄骨が崩れた時に、従業員を先に逃がすために後ずさりしながらみんなの最後に逃げていて、つまずいて仰向けに倒れたところに鉄骨が落ちてきたと聞いています。
 
 突然の訃報で、会社は役員が継承しますが、経営がうまくいかず、他社に売り渡すことになります。父は、伯父さんの一周忌までは勤めましたが、その後独立を決意します。その当時、第一糖業殿の建設工事などに従事し、日向出張所に勤務していた父は、日向市を基盤に仕事を始めます。このとき、延岡の中島鉄工所という名前が亡くなるのは惜しいと考え、日向中島鉄工所という名前で会社を設立しました。昭和44年4月の事です。
 
 当時のことは、弊社の40周年記念誌にも記載の通り、大変な苦労の連続だったそうです。まず、トラックの荷台に書類を乗せて事務所代わりにしていたと聞きました。当然電話もなく、知り合い企業に取り次ぎを頼んだり、プレハブ事務所を借りたりしながらの営業活動だったようです。創業当時は、本当に多くの方にお世話になったと、生前良くいっていました。
 
弊社のホームページでも40周年記念誌がPDFファイルで見る事ができます。ご一読頂ければ幸せです。(http://www.hn-t.co.jp/principles/40th.html
 
当時私は、日知屋小学校に入学して2年生になる年の事ですから、会社の事など全く分かっていませんでした。しかし、生活が苦しい中でもさほど貧乏を実感する事なく、育てられました。
 
明日は、父の月命日です。平成20年10月20日に亡くなりました。
 
 今日はここまで、                   続く・・・

私の師匠

2010年9月18日 05:50
            

 

 これまでに、色々な方に出逢い、様々な事を教えて頂きました。どの方との出逢いも欠かせないものですし、自分の人生でとても大事なものです。
 その中で一番“考え方・生き方のモデル”になっているのは、父です。
 
 父から、仕事のことや経営の事をあまり細かく教えられた事はありませんでした。しかし、父の生き様や行動から、学んだり考えさせられる事が多く、亡くなった今も、父だったらどう考えるのかな?とか、父だったらどうするのかな?とよく考えますし、いつも私の手本になっています。
 
まず、挑戦し続けた生き方です。節目節目で大きな判断と行動力を必要とする事があったかと思います。その時に長期的に物を捉え、そして、思いきって行動をしていたようです。延岡の中島鉄工所時代には、東京のメーカーに飛び込み営業を行い、その後に続く製糖会社向け仕事のきっかけを作ったと聞きます。また、会社設立のときや、新工場建設の時には大きな決断が必要であったと思いますが、様々な方々の支援を得て、決断した事をやりきっています。
 
次に、自分の事より先に他人の事を考え行動する事。あるいは、地域の事や業界全体を考えた行動を行う事。いろいろな方々との信頼関係を築き、頼りにされてきたのは、そういう考え方や姿勢があったからだと思います。父はいつも信用を得るには永い年月がかかり、失うのは一瞬だと言っていました。
 
そして、最後に何事も人のせいにしない主体的な生き方です。
思いだされるのが、神社のお参りの時に聞いた一言です。神様に願い事をするな。自分の決意を語れ。「自分はこういう事をしたいと思って全力を尽くすから、見守っていてください。」と言え。神様にお願いをするような、依存的な考え方をするな、ということだったのかな、と思います。
 
 会社のバトンを渡されてから、いっさいの口出しはありませんでした。経営は教えられるものではなく、自分でやってみて、自分で考え、自分で方向を見出すしかない、と思っていたからだと思います。
 
 主体的に考え、挑戦する気持ちを忘れず、父の残した会社をさらに発展させたいと考え、経営者としての“経験と感と度胸”を学び実践する毎日です。
 
 昨日は、伊藤忠製糖様の視察&交流・懇親会でした。 有意義で、そしてとっても楽しい時間を過ごさせて頂きました。伊藤忠製糖のみなさんのおもてなしに、感謝と感激をこころから感じた昨夜でした。 大変お世話になりました。
以上
            

 

 

 今日から、伊藤忠製糖さんの視察です。社内の取り組みとはちょっと違いますが、すこし、そのお話を・・・。
 
 我が社の創業時からのお得意様が、第一糖業さまです。
 今回の視察は、第一糖業さんの協力業者でつくっている「第一糖業構内EHS協力会」のメンバーで、親会社の伊藤忠製糖さんを見学させて頂き、交流をしようという企画です。この「第一糖業構内EHS協力会」は、平成15年に当時の西浦専務が、“取引業者との密接な協力関係なしには、安定した工場運転はあり得ない”、とその設立を指示したものです。早速、皆さんに呼び掛けて、設立することとなりました。
 
EHSとは、Environment, Health & Safety つまり、環境・衛生・安全、を改善していこうという委員会で、EHS協力会は協力業者もともに活動をしていこうというためにこの名前がついています。第一糖業さんの安全パトロールに参加をしたり、相互交流を図ったりしています。 ちなみに弊社もこれにならって、安全衛生委員会に環境をつけて、安全衛生環境委員会と呼んでいます。
 
 今回訪問する伊藤忠製糖さんは、非常に計画的に原料フローと機器レイアウトが考えられた、素晴らしい工場です。工場の運転も自動化され、少人数での運転を可能にしています。ユーティリティー施設も工業団地内で共有し、かなりのコストダウンをしていると聞きます。今回も工場見学と伊藤忠製糖の皆様との交流が楽しみです。
 
 また、実は、今日で視察は終わりますが、帰ってくるのは明日の夜。すこ~し、名古屋の観光をくみこんでいます。「名古屋らしいもの、名古屋にしかないもの、え~おもしろそう」、を見てきます。その模様はまた後日。
 
以上
            

 

 平成18年から19年にかけて、宮崎県工業会と延岡市工業振興課が一緒になって「工業振興ビジョン」を作りました。工都延岡を含む県北地域が、どうすれば工業の振興を軸にして地域の活性化に結び付けられるのか?という事を考えて、将来ビジョンをまとめる作業を行いました。
 
 その中で、工業振興ビジョンの実行のためにも、次世代のリーダーを育成する会を作らなくてはいけない!という前旭化成延岡支社長の強い意思も反映されて、次世代リーダー育成塾も生まれました。これからを支える若者への産業教育も大事、ものづくりを支える技術者育成も大事、しかし、まず、経営者が企業家精神をもって、新しい事にチャレンジしなくては、地域は変わらない。リスクを取って挑戦する気概をもつ経営者を育てよう、という目的からでした。また、一橋大学の関先生の書かれた「現場主義の人材育成法」という本のなかの“全人格的な付き合いをする私塾を作れ!”というメッセージも育成塾を作るという発想の根底にあったようです。
 
 その命うけて、宮崎県工業会・県北地区部会・人材育成分科会が、塾の設立に向けて、準備を始めました。塾の名前から、塾長を誰にお願いするのかなど、喧々諤々の議論を重ねました。とくに、“何のために、この塾を立ち上げるのか?”ということに関しては、繰り返し討議を行いました。非常に忙しい経営者ばかりで、会社経営以外にも様々な会に所属して地域活動をやり、そして経営に関する勉強会にも参加している方々に対し、いまさら別の会を立ち上げる必要があるのか?“何のために?そもそも、何のために?”
 
 本当に“こころざし”を高く持ち、リスクを恐れず、挑戦する起業家精神をもった経営者を育てるには、もっと自分達の世界をひろげ、危機感を共有し、切磋琢磨する人の集まりを作らなくてはいけない。だから、この地域の中核企業や行政も一緒になって本音で議論をし、本気で事業や仕事づくりに取り組むことを目的にした会が今必要だ! という気持ちでした。
 
 その会も3年目に入っています。4年間という期間限定で始めた会ですので、いよいよ大詰めに入ってきます。これからどう仕上げて行くのか。正念場です。この会の事も報告をしていきます。
以上

プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

更新カレンダー

2010年9月 »
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のコメント

日向中島鉄工所 社員ブログ ひょっとこかわら版

日向中島鉄工所