私は、鹿児島生まれの宮崎育ちです。父は鹿児島の串木野の出身、母は鹿児島の東市来の出身で、私も鹿児島生まれです。2歳の時に父の勤務地であった延岡に移ってきたそうです。小さい時、学校の長期の休みには、よく父や母の実家に遊びに行っていました。とても仲良遊んでくれた従兄弟達もいるので、夏休みに行くのがとっても楽しみでした。なぜか当時は、日向の町中に住んでいたせいか、宮崎に住んでいながら、自然豊かな田舎に行く感覚でした。
 
 お盆の時期には、提灯を竹ざおにいくつもぶら下げて、お墓に持って行って、何時間もお墓にいました。花火をして遊んでいた記憶があります。
 父方の祖父は、金山で有名な串木野の鉱山技師だったと聞いています。わりと裕福な家庭だったらしく、庭付きの大きな家に住んでいました。五反田川沿いにあったと思います。大きな土間とお風呂と川に面した縁側が印象に残っています。
 
 その祖父が、終戦によって関東の勤め先から串木野の自宅へ向けて汽車で移動中に機銃掃射にあい、串木野駅の手前で命を落とします。父が13歳の時だったといいます。いい家にお嫁に来たはずの祖母とまだ13歳だった父の苦労がその時から始まります。祖母は女手一つで、父を筆頭にまだ生まれたばかりだった女の子も含めて6人の子供を育てます。
 
父は延岡で鉄工所をしていたおじさんを訪ねて働きにでます。中島助市というおじさんが経営していた中島鉄工所は、かなり大きく事業を行っていたらしく、旭化成さんのメンテナンスや、橋梁、国鉄の仕事もやっていたようです。実は、今山大師に建立されている高さ17mもある日本一の弘法大師像は、その中島鉄工所が延岡港から大八車まで運搬し、設置したと聞いています。また、当時の中島鉄工所で働いていたという方で、現在も同じ業界で活躍している方も多くいらっしゃいます。
 
 なぜ、社長は島原という性なのに、御社は「日向中島鉄工所」っていうの?と良く聞かれますが、それは、創業者である父が延岡の中島鉄工所で働いていたという事が関係しています。
 今日はここまで・・・
続く 

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プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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