延岡の中島鉄工所での父は、身内という事もあって大変厳しく育てられたそうです。作業終了後もひとり工場に残って溶接の練習を繰り返していたと聞きます。父の叔母にあたる菊おばちゃんがこっそり差し入れをしていたという話を、おばちゃんからは何度も聞きました。
 中島鉄工所で営業部長までやっていましたが、おじさんである中島社長が、ある現場の視察中に亡くなりました。仮設のために組み上げた鉄骨が崩れた時に、従業員を先に逃がすために後ずさりしながらみんなの最後に逃げていて、つまずいて仰向けに倒れたところに鉄骨が落ちてきたと聞いています。
 
 突然の訃報で、会社は役員が継承しますが、経営がうまくいかず、他社に売り渡すことになります。父は、伯父さんの一周忌までは勤めましたが、その後独立を決意します。その当時、第一糖業殿の建設工事などに従事し、日向出張所に勤務していた父は、日向市を基盤に仕事を始めます。このとき、延岡の中島鉄工所という名前が亡くなるのは惜しいと考え、日向中島鉄工所という名前で会社を設立しました。昭和44年4月の事です。
 
 当時のことは、弊社の40周年記念誌にも記載の通り、大変な苦労の連続だったそうです。まず、トラックの荷台に書類を乗せて事務所代わりにしていたと聞きました。当然電話もなく、知り合い企業に取り次ぎを頼んだり、プレハブ事務所を借りたりしながらの営業活動だったようです。創業当時は、本当に多くの方にお世話になったと、生前良くいっていました。
 
弊社のホームページでも40周年記念誌がPDFファイルで見る事ができます。ご一読頂ければ幸せです。(http://www.hn-t.co.jp/principles/40th.html
 
当時私は、日知屋小学校に入学して2年生になる年の事ですから、会社の事など全く分かっていませんでした。しかし、生活が苦しい中でもさほど貧乏を実感する事なく、育てられました。
 
明日は、父の月命日です。平成20年10月20日に亡くなりました。
 
 今日はここまで、                   続く・・・

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プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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