小学校時代の一番の思い出は、大けがをして救急車に乗った経験です。おかげさまで、体は丈夫に産んでもらいましたので、病気はほとんどしませんでしたが、小学校では、かなり危ない遊びもしていて、怪我も多かったように思います。
 
 小学校への通学は、集団登校でしたが、整然と並んでの登校ではありませんでした。遊びながらの登下校でした。あるとき、一つの石を、手を使わずに蹴りながら学校まで運んでいくという遊びをしていました。しかも冬でしたのでポケットに手を突っ込んで、石を蹴っていました。当時小学校3年生で、まだランドセルがすこし重荷に感じられていたと思います。
 蹴り進んで行く中で、側溝の手前まで来ました。側溝に落としてしまうと手を使ってあげてはいけないルールですので、側溝を飛び越そうと勢いをつけて、思いっきり石を蹴りました。ところが、蹴った石は自分が蹴ってきた石ではなくて、土に埋まって上の方だけ出ている石でした。当然石は動かず、足はそこでとまり、反動で頭の方が大きく前に傾きました。それに加えて3年生には、ランドセルは重く、頭の方が加速をつけて地面へと向かいました。
 
 目の前には、側溝のエッジのきいた内側コーナーが迫ってきました。腕の力では支えられず頭がコンクリートに激突をしました。頭が大きく切れて顔じゅう血だらけになりました。
そこからの事はあまり覚えていません。通学途中で周りは何が起こったかわからず、パニックになっていたと思います。ちょうどそこへ、担任の先生が通りかかり、救急車を呼んでくれました。母親は救急車のサイレンの音と聞いて、また何か事故が起こってるな、と思っていたそうです。このまったくの自損事故で、頭を12針縫う大けがをしました。それから、病院に長期入院をする事になりました。退院時には、足が萎えてうまく歩けなかったくらいです。
 クラスの友達が見舞いに来てくれたり、手紙や千羽鶴を送ってくれたり、本当によくしてもらって、とってもうれしく、友達のありがたさを感じたのを覚えています。
 
 また、ある時は、団地の公園のまわりを自転車で周回競争していて、溝に突っ込み、自転車のブレーキが太ももに突き刺さった事もありました。また、夜が明ける前から自転車で細島のチップ置き場に行き、チップの山からバク天で飛び降りる遊びをしたりしましたが、 大けがをしながらも、懲りずにまた、面白い遊びを考えては、日が暮れるまで遊ぶ毎日でした。
今振り返ると、与えられる遊び道具の何もなかった時代に、自分達で遊びを考え、体をつかっての遊びが多かったように思います。
 おかげで、非常に健康で、病気をしない、頑丈な体に育ちました。
 
 今日はここまで、                   続く・・・

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プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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