工学部は、学内でも独特の雰囲気があったように思います。特に運動会シーズンになると、異様な空気が漂います。あちらこちらから聞こえる応援合戦の練習の声、工学部必勝の歌 (血をすすり♪、涙して♪、勝ちえし御旗濁世の最中燦たる光♪、見よや紅の旗頭♪、工友健児の意気の精♪、・・・)、旧制五校自体からの古き良き(?)伝統が受け継がれていました。
 
 運動会の前夜祭では、黒髪町の熊大から熊本城二の丸まで、羽織はかまに高下駄をはいて、腕組みをしながらゆっくりと行進をします。今時なかなか見られない硬派な姿です。その中で資源採鉱冶金学科はさらに独特なグループでした。なぜか頭をモヒカン刈りにして、赤褌を身につけていました。他がまともに見えます。
 
 以前は、熊大の学園祭は黒髪祭と呼んでいました。夜通しのコンサートや、出店で大いににぎわいました。アルコールが入って、当然のようにトラブルも発生し、私達武道系の部活は警備要員として本部に詰めていた事もありました。
 
 イベントごとや部活動で忙しい中で、勉学の方にもいくらかまじめに(?)取り組んでいました。 単位の取得が義務付けられていますから、期限が近付くと、真面目に出席するようになり、レポート・試験、に追われていました。もともと記憶力を必要とする科目はあまり得意ではなく、図書館通いをしてなんとかクリアをしていました。
 
 生産機械工学科だったので、実技もありました。鋳造・鍛造・溶接・機械加工、等々 加工技術を体験しました。その中で溶接が比較的得意だったかな? 
座学と実技で工業に関する様々な技能や技法を学んだ事は、日本のものづくりの魂を感じる事が出来たような気がします。
 
 卒業研究は、何だったか正確には覚えていません(^^;)
「 切削加工における、材料とバイトの関係??? 」だったかな?
ひたすら旋盤で材料を削っては表面粗さを分析して、データをまとめた記憶があります。
 
 また、当時はコンピューターも出始めだったので、シャープのMZ○○というカセットテープが記憶媒体のコンピューターがあるだけで、全てのレポートは手計算と手書きでつくりました。 ロットリングのペンなどを使いつつ、丁寧に発表資料を作りました。内容は薄かったかもしれませんが、手間をかけた分、思いがこもっていたなあ。
以上

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プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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