先日、東北大震災復興支援ボランティアの活動として、現地に人を派遣したいので、参加したい方は申し出るようにと社内で話をしました。
 
 新入社員にも、研修の一環として、現地に行かないかと打診をしました。 4名のうち1名は女性のため、安全の事も考えて残念ながら派遣するわけにはいきません。 1人はどうしても行くことができない、個人的な事情がありましたが、2名が参加することになりました。
 
 自分達が生きているこの時代に、日本を揺るがす大変な事が起こっている今、日常の事も大切ですが、それ以上に大切なことがあると考えています。
この事柄をまず自分の事として受け止めて、この事が何を意味しているのか? これから日本がどう変わっていかなくてはいけないのか? を考えるために、現場に行き、自分の目で見て、何かを感じ、そして考えてみる事がとても大事だと思っています。
 時代が大きく変革をしようとしているこの時に、自らその変化の方向を見定め、自らの意志で変化をしていくのか、それとも変化の後からついていくのかは、これからの生き方に大きな変化を及ぼします。 これからの自分の生き様を大きく左右するかもしれません。
 
 今、起きている事に無関心でいる事は、人から言われた事だけをしていればいい、という依存的な生き方につながるような気がします。 これまでは、知識や技能を身につける事が最優先とされてきました。 自ら仕事を創りださなくても沢山の仕事がありましたから、いわれる通りに動けば、その動いた時間に見合うお金が頂けました。 そして、いろいろな欲しい物を買うことで満足が得られたかもしれません。 しかし、これからは仕事を創りだすところから自分でやらなければいけません。 社会に必要とされる仕事は何なのか? 解決すべき問題は何なのか? を考える人が必要になってきます。 それに応えられるように自らを変化させていかなくてはいけません。 
 
 今回の大震災は、これからの社会が何を必要とし、私たちがどう生きていくべきかを考えるきっかけとなるように思います。
 
 今すぐに答えは出ないかと思いますが、短い時間でも現地を訪れて、考えるきっかけして欲しいと考えています。
 新入社員の皆さんには、大きな試練かもしれませんが、自らの成長のための大きなチャンスですので、貴重な経験をしてきてくれると期待しています。
今日はこれまで。

自分史(その31)

2011年5月15日 11:00
            

 

宇部興産時代の記憶としては、海外出張の時のものが印象に強く残っています。
 
エジプトの後も、ベトナムに1年、インドネシアに6ヶ月行きました。
どちらも、建設工事から試運転・引き渡しまで、特にベトナムでは、みんなが引き揚げてしまってからも滞在をしていました。 
 
ベトナムの時は、石炭専焼のセメントプラントの建設でした。 台湾資本のプラントで、オーナー側から来ていた現地のスタッフの方々にも大変良くしてもらいました。 特に工場長のチュンさんは、何かと気を使ってくれる方でした。 台湾の方とは、筆談ができます。 彼らは、日本と共通する漢字をたくさん使うので、漢字を通してとても楽しく会話ができます。 また、日本人と価値観が共通する部分が多く、一緒に仕事をしていても、お互いの言う事が良く理解できていたと思います。
 
 現場は、北ベトナムのハノイから海沿いに100kmほど向かった町ハイフォンからさらに北に移動したミンドックという村にありました。 ハイフォンから現地まで行く時には、川を渡る船に乗らなければいけませんでした。 ベトナム戦争からの後遺症かあまり川に橋がかけられてはいませんし、道路の舗装も整備されていませんでしたので、とっても長い道のりに感じました。
 ベトナムの方々は、日本人と気質が似ていると言われます。 また、農耕民族としての生活様式も似ているのかもしれません。 以前は日本の昭和30年代の生活に似ていると言われていました。 いつかまた、海外で仕事をする時が来たらベトナムがいいなと思っています。
 
 私は、原料ミルセクションの担当でした。 原料ミルの立ち上げから試運転、運転指導を行いました。 原料を受け入れるところから粉砕して、原料サイロに保存するところまでが担当です。 また、海外のプラントでは、非常に停電が多く、ディーゼル発電機と、熱ガス発生炉、純水装置なども担当しました。
 
 これからまた少し、ベトナムでの話が続きます。

今日は、これまで

            

 

 先日姪っ子が長崎から遊びに来てくれて、宮崎を案内しました。
 
 初日は、綾の酒泉の杜と照葉大吊り橋にいって、宮崎市内に宿泊し、翌日は、鵜戸神宮と青島神社に行きました。
 久しぶりの家内との旅行です。 すこしどきどきでした。 宮崎に住んでいながら、行った事の無い場所が数多くあります。 新鮮な気持ちで楽しめました。 
 
 まずは、照葉大吊り橋にいきましたが、ちょうど橋の架け替え中で、吊り橋は撤去されていました。 本来は3月には完成予定で工事が進んでいたのが、9月まで伸びたとの事でした。 しかし、そういう瞬間もこの機会しか見る事ができないので、良い思い出となったのかもしれません。 秋には、また訪れるという楽しみができました。
 
 その後、酒泉の杜に立ち寄りました。
 ガラス工芸の黒木国昭さんの作品展示が行われていました。 とっても見事な作品ばかりで、工房の方の説明を非常に興味深く伺いました。 これを機に一つ欲しいと思って値段を聞くと、かなり安くしているとはいえ、さっと出せるような金額ではなく、見て楽しむだけで終わってしまいました。
 
 その日は、宮崎市内まで移動して、宮崎観光ホテルに宿泊をしました。 そして、夕食は、軍鶏さんの地鶏を楽しみました。 やはり宮崎は地鶏です。 県外のお客様にも楽しんでもらえる郷土料理です。
 
 翌日は、鵜戸神宮と青島神社に行きました。 どちらも宮崎を代表するパワースポットです。 少し雨模様でしたが、どちらも参拝者が多く、賑わっていました。
 青島神社は、縁結びの神社で、アベックにはとても楽しめる場所でした。 さまざまな種類のお守りがあり、占いがあり、どれもに工夫がこらされていました。
 
 久しぶりの休日を楽しませてくれた姪っ子ペアに感謝です。
 
以上です。

3DCADへの乗り移り

2011年5月13日 09:00
            

 

 3DCADの導入に向けて、CADソフトを検討しています。
 
 私達一品モノの機械を製作する企業にとって、3DCADはまだ一般的ではありません。
 
 しかし、将来的には、3DCAD化が進むと考えています。
 
 今の2DCADの作図テクニックがある意味で職人的な技です。 本来の設計という部分とは違った“いかに表現するか”、現物(3D)から図面(2D)への翻訳をする部分の特殊な技に時間を割かれている部分がとても多いと思うからです。
 
 製作現場での製缶のテクニックも大きく進化をしてきました。 プレス機が一般的となる前は、曲げ作業はハンマーでたたいていました。 ハンマーを正確に振り下ろす技術や、曲げ具合に応じてたたく場所や頻度を考えることなど、特殊な技術が必要とされていました。 リベットを熱して頭を加工したり、ステンレスをたたき切ったり、職人技として必要だった技術も変遷をしています。
 
 技術・技能という物は、よりシンプルに、多くの人が容易に習得できるように変化をしてきます。 設計もより現場に近い、専門家でなくても理解できる、自然な形に変化をしていくと考えています。
 
 だたし、3DCADという道具が、設計者の意図をしっかり伝えるものであるのか? という問題と、3DCADの各種ソフトウエアーのうち、どれが最適なのか? という問題もあります。
 CADは、あくまでも道具ですが、人が作ったものですので、その目的や開発過程等が、その使い勝手に影響をしてきます。 我が社の業務に合う物を選びたいと思っています。
 
 5月末で、どのCADを使うのかを決断し、導入に向けて進み始めたいと思っています。

以上です。

            

 

 本日は、主に社外で活動をする日です。
 
 まず、11時から宮崎県工業会の理事会があります。 旭化成をはじめとし、宮崎県の工業界をリードする企業さんが理事となっていらっしゃいます。 弊社もその末席に名を連ねています。 今年の総会を前に、審議事項の承認を行う理事会です。 今年度の総括と来年度の活動方針の提案があります。
 
 その後、同友会事務局で仕事づくりのための産学官連携についての打合せを行います。 
 昨年の経営フォーラムで、北海道の産学官連携組織のお話を伺いました。 行政や大学が中心となる産学官連携組織ではなく、産業界が中心となり、産産連携の推進に対して、大学・行政が支援をする仕組みを作っているお話でした。 
 
宮崎でも様々な形で産学官連携を行っていますが、事業化にまで結び付いた例はあまり多くありません。 もっと産業界が主導的に動き、地域のニーズをしっかりとらえた連携を多く生み出す仕組みを作らなければいけないと思っています。
 
岩手の岩手ネットワークシステム(INS)のように、頻繁に交流する機会を作るなかで、情報交換を活発に行い、会員相互のアイディアを集めて、そこから研究会を生み出し、大学や行政の支援を頂きながら事業化に結び付ける動きが望ましいと思います。
 
これまで、どうしても研究シーズからの発想や漠然とした大方針のもとに連携を図ってきた事が多いかと思いますが、本来もっと地域のニーズや解決すべき課題からスタートしなければ事業にまでは育っていかないのではないかと思います。
 
今日の話し合いの中で、産学官連携組織に向けた新しい方向性が見えてくればいいな、と思っています。
 
その後、同友会の理事会が21時過ぎまで行われて、やっと解放です。 長い一日になります。
以上です。

プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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