志 ~こころざし~ 日向中島鉄工所 社長ブログ

P.F. ドラッカー

2011年1月10日 08:00
            

 

 平成23年2月号の致知の特集は、「ドラッカーと本田宗一郎、2人の巨人に学ぶもの」という対談です。 P.F.ドラッカーは、言わずと知れた「マネージメントの父」「現代社会最高の哲人」と呼ばれた人で、企業経営やビジネスの世界では、彼の著書はバイブルとなっています。
 
 多くの示唆に富んだ言葉を残しています。 また、いつも物事の本質や大きな潮流を見失わず、原理原則を追求しています。 週刊ダイヤモンドでも特別企画を行っていました。 混迷を深める政治経済だからこそ、彼の発言が熱心に研究されているのだと思います。
 
 週刊ダイヤモンドの特別付録の中から、特に感銘を受けた言葉を上げてみます。
 
「これからの20年、30年、仕事を心躍る物にするには、目線を上げて自らを駆り立てよ」
 
「知識労働の生産性こそ、1人ひとりの人間、一つひとつの組織が成功を続けるうえで不可欠のものである。これからの数十年にわたって、知識労働者として活躍する人としない人、知識経済において繁栄する組織としない組織の差は、歴然となる」
 
「われわれは今、壮大な歴史の転換期を経験しつつある。この転換がポスト資本主義社会を創造しつつある。」
 
「昨日を捨てることなくして、明日をつくることはできない。内部に変化への抵抗があったのでは、組織そのものが立ち枯れとなる。変化が不可避であるのならば、自らが変化しなければならない。変化の先頭に立たなければならない。」
 
「組織の中にプロフィットセンターはない。全ては顧客のところにある。企業の活動が、成果を生むか無駄に終わるかを決定するのは、企業の外部にいる者である。」
 
「成果を上げるために必要な3つの事、①常に貢献を考える事、②常に集中する事、③目線を高くする事。 そして、成果を上げるための能力を“真摯”に努力をして身につける事」
 
「“利益”は目的や動機ではない。事業を継続・発展させる明日のためのコストである」
 
「社会は数十年をかけて、次の新しい時代のために身繕いをする。世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術や芸術を変え、機関を変える。やがて50年後には、新しい世界が生まれる。」
 
 私達は、時代の転換期に立ち会っている。 自らが変化の先頭に立ちたいと思う。
以上
 
            

 

 さて、4回生になると就職の事を考えなくてはいけなくなります。 当時は、海外に行きたいという気持ちもあって、プラントに関する仕事をしたいと思っていました。 プラントとは、工場のことで、工場の全設備を建設する仕事を行う事です。 特に、海外にプラントを建設するという事がとても“かっこよく”思えました。
プラント専業会社もたくさんありますが、当然のことながら、当時はあまり詳しくなく、どの会社がいいのか全く予備知識がありませんでした。
 
ここで、下宿の先輩が登場します。 下宿の先輩で、少林寺拳法部にも誘ってくれた方が、私の卒業の2年前に山口県の宇部興産に就職をされていました。 宇部興産という会社にプラントがある事自体知らなかったのですが、先輩の“プラントの仕事、おもしろいぞ!”という言葉に誘われて、入社試験を受けることにしました。 今みたいに、何社も受けて、内定をたくさんいただいて、その中から選択する、という事は全く頭になく、宇部興産のみを受験しました。
 
入社試験は、九州と中国地方の学生と一緒に行われました。 筆記試験の内容は良く覚えていませんが、面接で研究テーマについて質問をされた事だけを覚えています。 役員さんの前で、ホワイトボードに記入をしながら説明をしました。 その他は、あまり記憶に残らなかったような一般的な質問だったと思います。 なんとか合格を果たし、昭和60年、西暦1985年に宇部興産に入社しました。 同期入社は約80名でした。
入ってみて、初めて宇部興産という会社がどういう会社なのか、初めて知るようなありさまでしたが、多くの同期入社や先輩方との交流の中から、多くの事を学べた宇部興産時代でした。
 
入社式の日に、社長招宴というものがありました。 入社式の後の懇親会です。 その懇親会の2次会で、一つの出逢いがありました。 その話は、次回です。
 
つづく

ご縁

2011年1月 8日 06:44
            

 

 元気ワクワク夢クラブの活動が再開しました。
 
高鍋での中村文昭さんと大嶋啓介さんのコラボでのトークライブの開催に向けて、動きだしました。 昨年の7月以来の久々の活動です。 またワクワクが始まりました。
 何が起きるのだろう? どういう方との出逢いがあるのだろう? 私達の可能性はどこまであるのだろう?
 
 実行委員会の準備会は、延岡の栄高産業さんで開催をしました。 開催まで40日しか残されていない中での開催決定。 やはり、試されています。 何を学べと言われているのだろう?! ネタ作り! ネタ作り!
 
それにしても、実行委員会の方々は、Mの心バリバリ? この短期間で1000人規模の講演会を実行しようという困難な道を選び、しかし、だれもできない理由を言う人はいません。 やると決めたら、そのために知恵を出し、行動する方ばかりです。 学ぶ意欲満々の方ばかりです。
 
この日も、12名の方が参加してくれました。 1人1人の自己紹介を聞いていると、自主的に参加しようという人達ですから、とても前向きで主体的で自分の未来を積極的に切り拓こうという方々ばかりのように感じました。 こういう「ご縁」が人を磨き、成長させていくのだろうと思います。 愚痴や不満ばかりを口にして、何事も人のせいにしている人は、近寄ってきません。 類は友を呼ぶ、運を持った人は、運を持った人を引き付ける。
 
1月10日(月)には、高鍋の中央公民館で実行委員会のキックオフを行います。また、新たな「ご縁」が広がる事を楽しみにしています。
 
昨年11月30日に、佐賀に引き続き都城で行われた、福島先生と大嶋さんの講演会、 「夢しか実現しない」 懇親会で聞いた大嶋さんの“夢”、最幸でした。 中村さんと大嶋さんとのコラボでの講演会で、多くの皆さんが可能性に気付き、やる気のスイッチが入る事を願っています。 そして、そういう方々のご縁が広がり、地域がもっと元気になれば、これ以上の喜びはありません。
以上

安全祈願

2011年1月 7日 08:00
            

 

 この時期、様々な団体で安全祈願が行われます。
 
 我が社でも、大御神社の神主さんに来て頂いて、全社員で安全祈願を行います。
 
昨日、朝7:00からは、我が社の厚生棟で安全祈願を行いました。 神事を行い、お神酒を頂き、お札を新しいものに変えました。
 
さすが神主さんです。 良く通る声と良く響く柏手が気持ちよく感じました。
私も毎朝神棚に手を合わせていますが、柏手の響きにいつも気をつけています。 初めは手をゆっくり動かし始め、手の力を抜いて、両手がうまく合わさる様にしなければ、いい音が出ません。
日本の“道”といわれるものは、どれもそうですが、無駄な動作をそぎ落としていき、洗練された立ち居振る舞いを行うことで、心も整えて行くことは、日本独特の考え方かもしれません。
 
「禮之用和為貴(れいのようは、わをもってとうとしとす)」。 礼の要は敬う心と、和の心の一致をもってよし、「拝」は敬の心、「拍手」は和の心であり、その二つを合わせて行うことによって、敬虔な気持の現わしていると言えます。 いづれにしても、神様を敬い、謙虚な心で、自己を見つめ直す動作だと思います。
 
 安全はすべてに優先する事項です。 安全があって初めて製品の品質やコスト、効率化が始まります。 我が社も無事故に無災害に取り組んでいますが、小さい怪我が減りません。
毎日の仕事に入る前に、朝礼等を通じて、心を整えることから徹底していきたいと思っています。
 
 また、大御神社では、特に清掃を重視しているとのことでした。 清掃・清潔としっかり行う事を徹底していると、自然と人が集まってくると行ってらっしゃいました。 長い歴史を通して確立をしてきた様式美がそこにあると思います。
以上

賀詞交歓会

2011年1月 6日 06:30
            

 

 新年が明けてから、各界の方々とのご挨拶の交歓会や一年の無事を祈っての祈願式が続いています。
 
 1月4日10:30からは、我が社のお得意先の第一糖業殿の安全祈願式が大御神社の本殿で執り行われました。 毎年、1月4日に行われる行事ですが、とてもすがすがしく、改めて新鮮な気持ちで新しい年の始まりを迎える事ができました。 
 これも、人様々だと思いますが、形から入り、気持ちや心を整えて行く日本古来の風習にのっとった伝統的な作法を行うと、改めて気持ちが引き締まる思いがします。
 
 1月4日の17:30からは、日向市の賀詞交歓会が行われました。 200名ほどの方が一堂に会して、新年のご挨拶を交わします。 一度に多くの方とご挨拶ができるため、とっても便利な会合です。 久々にお会いした方もいらっしゃって、1時間という短い時間でしたが、とても楽しくお話ができました。
 
 主催者あいさつとして登壇された、黒木市長も長いご挨拶で、“思いのたけ”をお話しされていました。 
 
 とてもわかりやすく、日向市の現状とこれから行おうとしている事がよく見えるお話しでした。
 とても複雑で分かりにくい時代だからこそ、トップが将来像をはっきり描ききり、実行して是非を問うという姿勢を見せなければ、ますます混迷を深めて行くと思います。 「私はこう思います。 こういう社会にしたいと思います、もし間違っていたらすぐ交代します。」 と国民・住民にはっきり宣言をする姿勢が必要だと思います。 
 政治の役割として、もっとも大事なことです。
 
 変化の激しい時代は、行動しない事自体が大きなリスクとなると思います。 常に動き、トライ&エラーで、成長し続ける事が最もリスクを低減させることにつながるのではないでしょうか。
 
 今年も先を予測しながら、常に動いて挑戦をし、自らを変革していきたいと思いを新たにしました。
以上

プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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