採用内定者向け課題図書
2010年9月22日 06:58
今週も、本の紹介をさせて頂きます。
まずは、弊社の来春入社予定の内定者に出している課題図書のご紹介をします。
毎月1回課題図書を贈り、レポートの提出をお願いしています。しっかり読み込んで、なかなか良いレポートを書いてくれています。下記がその課題図書です。
7月度 プロは逆境でこそ笑う 清水克衛著
8月度 キミが働く理由 福島正伸著
9月度 「夢」が「現実」に変わる言葉 福島正伸著
内定者の課題レポートは、いずれもしっかり読み込んで、自分なりの受け止め方と考えをはっきりと書いてあり、ここでは掲載したいくらいですが、本人達の許可を得ていませんので、差し控えます。
脳開発のパイオニア・西田文郎先生、小さな学習塾から世界を変える喜多川泰さん、倒産寸前の状態から経営する会社をV字回復させた出路雅明さん。世界の宇宙開発技術者が提携を申し込むほどの宇宙開発施設を、町工場の片隅に作ってしまった植松努さんの5人の物語が載っているとってもお得な本です。
「プロは逆境でこそ笑う」という本は、これから多くの事に挑戦し乗り越えて、大きく育ってほしい若人達に読んでほしい本です。逆境と思われる事でも、それは成功(成幸)への過程でしかない。これまで何の疑いもなく信じてきた世の中の見方や常識が、自分の考え方次第で、まったく違って見えてくるという事を教えてくれます。「壁にぶち当たるのが当たり前なんだ」「楽なことの中には、楽しい事はない」「大きな困難と見える事の裏に、大きな喜びがまっている」ということに、気付かせてくれます。
最近、いい本に出会うと何冊も買い込み、弊社に来られた方に、差し上げるようにしています。気に入った本の内容に関して共感し、語り合うことほど、うれしい事はありません。
以上
社員への手紙 その2
2010年9月21日 06:30
第2回目の「社員への手紙」です。我が社は産業用の機械製造・設備工事を行っています。創業当時から、いつでも・どこへでも、機械の更新や設置工事に出かけて行きます。以下の手紙にもその様子がうかがえます。
いよいよ本格的な寒さが襲ってきましたが、風邪など召されていないでしょうか?
暖かくする・栄養と睡眠をとる・うがいをする、などの風邪予防策で冬をのり切りましょう。
当地日向も寒さが増してきていますが、もっと寒いところへ出張をしている方もいます。岐阜県の飛騨高山には8人が出張中です。上高地や白川郷に挟まれた高山の寒さは、けた違いだと思います。都城の南国興産へは、4人が出張中です。ここも切り開いた山の中なので風が強く意外と寒いところです。鹿児島の知覧には、6人が出張中です。また、鹿児島の阿久根にも出張が予定されています。風邪など引かず、怪我のないよう、無事仕事を終えて帰って来て頂きたいと思います。
今年、国家資格である鉄工一級・二級技能検定(製缶作業)に新たに3人が合格しました。甲斐睦男職長、黒木巧班長、高橋秀光班長です。以前からの2人、1昨年の4人とあわせて資格取得者が9人となりました。忙しい仕事の合間を縫っての勉強と受験でしたが、みごと合格されました。おめでとうございます。
会社のもっとも大事な財産が人財です。製品の品質や安全もそして付加価値を生み出すのもすべて人間です。社員一人一人が技術力と知恵を磨いていくことで、会社の総合力も上がっていくのです。そしてそれはまた自分の価値を高めることでもあります。時間とお金を自分に投資していきましょう。そうすれば将来必ず自分に戻ってきます。毎日の業務の上で創意工夫をするのに加えて、さまざまな資格取得や研修の機会も積極的に利用してください。
コンサルタントの船井幸雄は“つき”を呼ぶためには、自分自身につぎの3つの問いかけをすることが大事だといいます。1)素直ですか。2)勉強は好きですか。2)プラス思考ですか。
自分の人生をつくるのは、自分です。夢を持ち、具体的な目標をつくって自分の人生を作っていきましょう。
敬具
このときは、手紙の最後に“ツキ”を呼ぶために、という事を書いています。
チャンスはだれにでも訪れます。しかし、良い機会が訪れた時にそれをものにできるかどうかは、その人次第です。日頃から前向きに考え、即行動をするようにしていなければ、訪れたチャンスはあっという間に逃げてしまします。
前向きに考え、積極的に行動している人の周りには、同様の人が集まります。
すべては、自分次第! それでは、また。
社風とは?
2010年9月20日 06:30
我が社には、未だ教育訓練計画がありません。もちろん資格取得や社外セミナーへの参加は積極的に勧めています。しかし、計画的な育成計画はできていません。
そこで、職業能力開発協会の先生にコンサルティングをお願いして、みんなで作っていこうと考えました。幹部の皆さんに参加してもらい、議論をし始めたところ、問題が起こります。我が社には、問題が多すぎて、取り組むべき課題が多すぎて、どれも解決できていない。まず、それを整理する事が先なのではないか?という意見が出たのです。
それでは、まず、我が社の根本的な問題とは何なのか? それを洗い出し、優先順位をつくろう、ということになりました。月に一度、就業後に幹部全員に参加をしてもらい、会議を行っています。
その中で、社風が問題になりました。なぜ 挨拶ができないの?なぜ、ルールが守れないの? それは、社風だからね???
少し長くなりますが、福島正伸さんの著書「新・経営用語辞典」の中の「55・社風」の項を引用します。
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私はある会社で、新規事業開発のお手伝いをする事になりました。何千人もの社員がいる大きな会社ですが、社内の新規事業提案制度に申し込んでくる案件は、年間に数件しかありません。担当者は困っていました。
「うちの会社は、しばらく安定していた時期があって、そのころから社員の意欲が低下していきました。与えられた仕事をこなしていくだけで、利益がでていたのです。新しい事を考える必要もなく、ミスさえなければ良かったのです。そうなると、やりがいが亡くなっていきました。だんだん社風も暗くなっていったのです。しかも、その後、不況に見舞われました。新規事業を生み出していかなければならない状況ですが、提案してくる人はほとんどいません。今まで、そのような社風がなかったのです。」
その後、私はその会社の多くの社員と研修を通してお会いしました。そして、皆さんが口々に言う事はおなじでした。「福島先生、うちの会社、暗いと思いませんか?」
私の研修の中に、「自立型問題解決法」というプログラムがあります。まず、職場や会社の問題を何か一つ探し出します。そして、その問題を前向きに受け止め、根本的な原因を自分自身に見出し、最後に自分の出番に変える、という内容です。
案の定、多くの社員が、問題の欄に「職場が暗い」と書きました。そして、その問題を前向きに受け止めてみます。
○社員一人一人の気持ちをヒアリングして、社員の働きがいを知るチャンス
○それによって、他部署の社員ともコミュニケーションを取るチャンス
○会社の歴史を調べて、より詳しく会社の事を知るチャンス。
○お互いが思いやりにあふれ、誰もが楽しく働ける職場を、これから作れる チャンス
○自分と会社との関係を振り返るチャンス
○自分自身が、どんな気持ちで仕事をしていたか振り返るチャンス
次に、その原因を自分自身に見出します。
○いままで、職場が暗いのは、仕方がない事だと思って諦めていた。
○職場を改善するのは、自分の役割ではないと思っていた。
○職場が暗い原因を、自分から調べようと思っていなかった
○他の社員の気持ちを考えてこなかった。
○働く事や会社が好きではなかった。
○自分が暗かった
そして、自分の出番を作ります。
○まずは、社員にヒアリングするための、アンケートシートを作成する
○昼休み等の時間を使って、1人でも多くの社員とコンタクトをとる
○それらのデータをもとに、職場風土の改善提案を作成する
○朝、会社に着いたら、自分から元気よく挨拶をする
○自分の役割、夢を明確にして、働きがいを持って働く
○前向きな言葉だけを使うように心がけ、毎日、楽しく仕事をする
○会社の魅力を再認識して、会社をもっと好きになる
みんなが気付いたのです。
問題は、自分の出番である事。
すべては、自分の努力次第である事。
そして
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今の社風は、今の自分の気持ちだった事、に。
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社風って何? それに対して、自分はどうしたいの? 自分はどう行動するの?
共に考えて行きたいと思います。
以上
自分史(その2)、日向中島鉄工所の由来
2010年9月19日 07:00
延岡の中島鉄工所での父は、身内という事もあって大変厳しく育てられたそうです。作業終了後もひとり工場に残って溶接の練習を繰り返していたと聞きます。父の叔母にあたる菊おばちゃんがこっそり差し入れをしていたという話を、おばちゃんからは何度も聞きました。
中島鉄工所で営業部長までやっていましたが、おじさんである中島社長が、ある現場の視察中に亡くなりました。仮設のために組み上げた鉄骨が崩れた時に、従業員を先に逃がすために後ずさりしながらみんなの最後に逃げていて、つまずいて仰向けに倒れたところに鉄骨が落ちてきたと聞いています。
突然の訃報で、会社は役員が継承しますが、経営がうまくいかず、他社に売り渡すことになります。父は、伯父さんの一周忌までは勤めましたが、その後独立を決意します。その当時、第一糖業殿の建設工事などに従事し、日向出張所に勤務していた父は、日向市を基盤に仕事を始めます。このとき、延岡の中島鉄工所という名前が亡くなるのは惜しいと考え、日向中島鉄工所という名前で会社を設立しました。昭和44年4月の事です。
当時のことは、弊社の40周年記念誌にも記載の通り、大変な苦労の連続だったそうです。まず、トラックの荷台に書類を乗せて事務所代わりにしていたと聞きました。当然電話もなく、知り合い企業に取り次ぎを頼んだり、プレハブ事務所を借りたりしながらの営業活動だったようです。創業当時は、本当に多くの方にお世話になったと、生前良くいっていました。
弊社のホームページでも40周年記念誌がPDFファイルで見る事ができます。ご一読頂ければ幸せです。(http://www.hn-t.co.jp/principles/40th.html)
当時私は、日知屋小学校に入学して2年生になる年の事ですから、会社の事など全く分かっていませんでした。しかし、生活が苦しい中でもさほど貧乏を実感する事なく、育てられました。
明日は、父の月命日です。平成20年10月20日に亡くなりました。
今日はここまで、 続く・・・
私の師匠
2010年9月18日 05:50
これまでに、色々な方に出逢い、様々な事を教えて頂きました。どの方との出逢いも欠かせないものですし、自分の人生でとても大事なものです。
その中で一番“考え方・生き方のモデル”になっているのは、父です。
父から、仕事のことや経営の事をあまり細かく教えられた事はありませんでした。しかし、父の生き様や行動から、学んだり考えさせられる事が多く、亡くなった今も、父だったらどう考えるのかな?とか、父だったらどうするのかな?とよく考えますし、いつも私の手本になっています。
まず、挑戦し続けた生き方です。節目節目で大きな判断と行動力を必要とする事があったかと思います。その時に長期的に物を捉え、そして、思いきって行動をしていたようです。延岡の中島鉄工所時代には、東京のメーカーに飛び込み営業を行い、その後に続く製糖会社向け仕事のきっかけを作ったと聞きます。また、会社設立のときや、新工場建設の時には大きな決断が必要であったと思いますが、様々な方々の支援を得て、決断した事をやりきっています。
次に、自分の事より先に他人の事を考え行動する事。あるいは、地域の事や業界全体を考えた行動を行う事。いろいろな方々との信頼関係を築き、頼りにされてきたのは、そういう考え方や姿勢があったからだと思います。父はいつも信用を得るには永い年月がかかり、失うのは一瞬だと言っていました。
そして、最後に何事も人のせいにしない主体的な生き方です。
思いだされるのが、神社のお参りの時に聞いた一言です。神様に願い事をするな。自分の決意を語れ。「自分はこういう事をしたいと思って全力を尽くすから、見守っていてください。」と言え。神様にお願いをするような、依存的な考え方をするな、ということだったのかな、と思います。
会社のバトンを渡されてから、いっさいの口出しはありませんでした。経営は教えられるものではなく、自分でやってみて、自分で考え、自分で方向を見出すしかない、と思っていたからだと思います。
主体的に考え、挑戦する気持ちを忘れず、父の残した会社をさらに発展させたいと考え、経営者としての“経験と感と度胸”を学び実践する毎日です。
昨日は、伊藤忠製糖様の視察&交流・懇親会でした。 有意義で、そしてとっても楽しい時間を過ごさせて頂きました。伊藤忠製糖のみなさんのおもてなしに、感謝と感激をこころから感じた昨夜でした。 大変お世話になりました。
以上
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