稲盛塾長の言葉

2010年11月15日 06:30
            

 

 学校時代の先輩に誘われて、“盛和塾”という会に入っています。京セラを一代で世界的な企業に育て上げた、稲盛和夫氏の主宰する経営者の会です。会では稲盛塾長が原理原則の大切さを繰り返し、お話しされます。京セラには、アメーバーという経営手法と京セラフィロソフィーという経営哲学がありますが、その中でエッセンスともいえるものが、経営の原点12ヶ条です。
 
以下に紹介します。
1.      事業の目的、意義を明確にする
2.      具体的な目標をたてる
3.      強烈な願望を心に抱く
4.      誰にも負けない努力をする
5.      売上を最大限に、経費は最小限に
6.      値決めは経営
7.      経営は強い意志できます
8.      燃える闘魂
9.      勇気をもって事に当たる
10.常に創造的な仕事を行う
11.思いやりの心で誠実に
12.常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて、素直な心で経営する
 
稲盛塾長自身が、会社を経営していく中で、様々な事を考え、学び続け、いつも成長し続けたのだと思いますが、その時々を全力で進んできて、振り返ってみると、上記のような考え方を持つに至ったのだと思います。 
しかし、その中で変わらない事は、いつも、“こうありたい”というものを、強く持ち続け、素直に学び、努力を続けたことだと思います。そういう意味で、経営12ヶ条の中で、もっとも大事なものが、“強い願望を持つ”ということだと思います。
 
稲盛さんがおっしゃっている、“人生の成功法則”というものがあります。
 
  人生の成功 = 考え方×熱意×能力
 
人は、能力を磨くことには、比較的一生懸命になりますが、しかし、人を動かし、諦めずに努力を続けるのは、熱意です。どうしても、自分のやりたい事がある。諦められない熱い思いを持っている。だからこそ、逆風だろうが、大きな壁が現れようが、夢に向かって歩みを止めないのだと思います。しかし、考え方の方向性が違っていれば、社会から認められません。また、多くの方の賛同や協力を得られません。
 
人によって、人生における“成功”に対する考え方は違うと思います。しかし、幸せになる“成幸”は、全ての人にとっての人生の目的だと思います。そして、それは、仕事を通じて、多くの方に必要とされる人になってこそ得られるものではないかな、と思っています。
熱い思いをもって、全てのことに取り組んでいきたいといつも考えています。
以上
            

 

 高校では、国立理系のクラスに入りましたので、共通一次の勉強をしていました。しかし、基本的には、暗記科目は得意ではなく、暗記の要領もよくなく、あまり集中力の発揮できない勉強時間をだらだらと過ごしていました。机に座ると本が読みたくなったり、片づけをしたくなったり、勉強にとりかかるまでの時間がとっても余計な時間でした。当然のように、夜遅くなります。ただ、未だにそうですが、元来夜型でないのか、夜はすぐ眠くなるタイプです。頭がすっきりし、勉強がはかどるのは朝でした。
 
朝早く起きて、朝のNHK基礎英語を聞いていました。英語が得意になったのは、高校の先生が音楽や映画という興味を引く題材で勉強をさせてくれていたからだと思います。確か基礎英語でも、そういうコーナーがありました。英語のリズムは、映画と音楽から学びました。ビートルズの歌や、小さな恋のメロディーのセリフを繰り返し聴いていました。
 
将来こうなりたいという目的・目標は持っていませんでした。漠然と好きな事を活かせる事ができればいいな、という考え方しか持っていませんでした。当然のことながら、親の期待ほどには、成績が伸びず、偏差値と受験科目で受験する学校を決めました。母はせめて旧帝大といっていましたが、大学名にこだわりはなく、熊本大学と武蔵工大を受験しました。
 
運よく、試験には合格し、熊本大学を選択しました。これも確固たる理由があったわけではありません。国立だから授業料が安いし、親父とお袋も喜んでくれるかな、と思っての事でした。今思うと全ての事を決めるのに、あまり深く考えず、両親がどう思うかな?とか、世間的にどうかな?とか、という外部的な理由で決めていたような気がします。今思うと、うまくいかないと人のせいにしがちで、とっても危なっかしかったような気がします。
そして、熊本大学・工学部・生産機械工学科に入学しました。
自分史は、まだ続きます。・・・               以上

ご冥福をお祈りします。

2010年11月13日 06:00
            

 

 一昨日、昨日は、お客様のお通夜と告別式でした。63歳の生涯でした。
 お客様の工場長をされていた方で、設計から現場管理まで様々な経験と知識を持った方でした。我が社も色々な面でお世話になり、様々なご指導を頂きました。 
 強い個性とけん引力を持った方で、あらゆる面でエネルギッシュでした。数年前に特需があった、非常に忙しかった時期に、ほぼ徹夜に近い状態で仕事を続け、年間何十件ものプラントを成功に導かれたとも聞きます。
 今は少なくなった豪傑の1人だと思います。
 
 昨年出張先で心不全のために倒れられてから、ガンや心臓病や院内感染等の克服のため、闘病生活を続けていらっしゃったようです。俺みたいにならないと煙草をやめられないんだよな、といいながらも面談室でご自身の病気の事について話をされ、とっても元気なお姿を見せていましたので、かならず復帰されると思っていました。突然の訃報でした。
 
 我が社にも何度か足を運んで頂き、地元の居酒屋酒蔵で、おいしそうに“森以蔵”や“あくがれ14°”を飲んでいたのを思いだします。そういう時もご自身の体験からいろいろなアドバイスを頂きました。特に人材育成の大切さはいつも強調されていました。
 
「 上司が覚悟をして大きな仕事を任せないと、人を育てることはできない。一億円を捨てるくらいの気持ちで挑戦をさせないと人は本気で学ばない。」、といっていました。とってもかっこいい方でした。色々な修羅場をくぐり抜けてきたから、腹が据わっていたのでしょう。
 まだまだ、色々な事をお話したい方でした。残念でなりません。人の死に直面すると、日頃考えていない様々な事を考えさせられます。自らの死に様を考えます。如何に生きたらいいのかを考えます。こんな生き方をしていていいのだろうか?と考えさせられます。
 
 「 親は、自分にとって一番のタイミングでメッセージを残して亡くなる。」と、中村文昭さんが講演会の中でいっていました。それは、何だったのだろう? 2年前の平成20年10月20日に父が亡くなってから、考えています。
 父は、会社の経営の事も含めて、手取り足とり教える方ではありませんでした。すべての事は自分で考えて、自分で切り開け、というタイプでした。 痛み止めですこし錯乱していた事もありますが、亡くなる間際も言葉でのアドバイスはありませんでした。しかし、あのタイミングで亡くなったのは、何か意味があったのだろうと思っています。
 
 死に様や生き様を次の代にしっかり残せる生き方をしたい、と思います。
 
 今日は、日向共栄会の研修に参加します。昨日東京から移動して、門司に入ったのが22時を過ぎていましたので、今日からの合流です。
以上
            

 

 おはようございます。今日は千葉の出張先からです。
 
月1回、第1営業日に構内パトロールを行っています。おもに、5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)の状態を見て回ります。5Sは安全や災害防止にもつながります。また、品質向上にもつながります。製造業の基本中の“き”です。改めて、自社の状況を見て、改善点を発見する作業を行っています。
 
5Sは、日々の取り組みが一番大事ですが、慣れてくるとそれが当たり前になって、疑問を持たなくなります。いつも新鮮な目で見る事ができる、改善すべき点に気づく事ができるには、普段の努力が必要です。意識を高めておく必要があります。山田製作所の皆さんは、全社一丸となって、それに取り組んでいます。
 
 我が社も以前から3Sに取り組んできました。 大分にあるプリンターの組み立て工場をもつ3Sの進んだ企業を全社員で見学した事もありました。 ホンダロックにいらっしゃった方のご指導も頂きながら、3Sの基本を教えて頂くとともに、金をかけて抜本的なレイアウト変更も行いました。取り組む以前の写真も残していますので、かなり改善はされてきていることもわかりますが、全社的な5S運動にはなっていません。
 
 会社全体の取り組みには、やらされ感があるようです。5Sは仕事以外の余計な事、ISOや改善、安全活動等もできればやりたくない。通常の業務だけでも忙しいのに、これらの事は、忙しさを増すだけで、業務のプラスにはなっていない、と思っているのかもしれません。これらの事が、仕事の質を向上させるために如何に大事なことか、ということを納得できていないからかもしれません。
 
 来週末には、また山田製作所さんの工場見学をお願いしています。4名が朝礼から参加させて頂きます。百聞は一見に如かず、山田製作所さんでは、3Sの本当の意味と大切さを理解した、全社一丸となった活動を見る事ができます。他力本願である事はすこし気が引けますが、まずは、3Sのあるべき姿というものをわかってほしい。我が社のありたい姿を理解して欲しいと思い、山田製作所さんを多くの方に見てもらっています。将来は、自主的な活動として、我が社に定着してくれるように、自らが動かなくてはいけない変わっていかないと、自戒もしつつ・・・。
 
 先日、我が社の産業医の先生に大変厳しい指摘を頂きました。あなたの会社の今の整理整頓の状況で、本当にお客様が納得して仕事を頼もうと思う? 整理整頓が行き届いているとはお世辞にも言えない、と。 
その時には、産業医の先生も現場を一緒にパトロールをし、我が社のことを親身になって考え、あえて厳しいお話を私も含め全社員にむけてして頂きました。溶接の時の防毒マスクの着用について、酸洗いの時の防毒マスク、ゴーグル、ゴム手袋の着用について、等です。  
素直に受け止めて、改善に結び付けて行きたいと思います。
 以上

地域振興計画づくり

2010年11月11日 07:00
            

 

現在、宮崎県では総合計画づくりや科学技術振興指針づくりを行っています。 これから、10年後、20年後の宮崎の生活や産業がどうなっていくのか? その時に向かって我々がどう行動していけばいいのか? 方向性を明確にするというものです。
 
将来の事を誰にもわからないのだから、そんなもの作っても無駄だという人もいます。それよりも明日の飯のタネだ、現在の課題の解消だ、という人もいます。この議論はいつも、色々なレベルで行われています。どちらも必要な事は間違いありません。しかし、どちらが先かというとやはり、しっかりとした目的・目標やビジョンだと思います。
地域をどうしたいのか、どうありたいのか、がなくては、それぞれの思いで全く違った方へ向かい、力が分散します。
 
産学官の連携が必要だといわれますが、実際には有効に機能しているとは言えません。県民総力戦といわれますが、力が結集しているとは思えません。 県民の力が結集し、総力戦となる仕組みを産学官民が力を合わせて作る事が必要だと思います。知事は、力を合わせようというだけでなく、その仕組みや仕掛けづくりをする必要があるのではないでしょうか。
 
色々な団体にコーディネーターといわれる方がいて、産業界へのアドバイスをしていますが、これまで、それが大きな付加価値を生み出すことにつながったのか? 今一度、反省してみる必要がありそうです。官主導で行うことの限界があるのかもしれませんし、全国一律で行いがちな行政の仕組みとは別の宮崎の気質や気風に合わせたやり方が必要なのかもしれません。いずれにしても、企業が自ら動き、つながる動きがもっと活発化する必要があると思います。
 
先日の振興指針作りでも、それぞれの分野で宮崎の将来がどうあったらいいのか、どうしたいのか、ということから議論を始め、新しい産業や事業に結びつくニーズを掘り起こすためにはどうしたらいいのか?ということを話し合いました。
政治家の役割と責任、行政の役割と責任、企業経営者の役割と責任、県民の役割と責任、それぞれを明確にしつつも、目的はひとつです。豊かな生活をおくるために多くの働く場を作っていく事に、組織・団体・業界の壁を越えて協力する体制を作らなくてはいけないと思います。
 
 昨日、安全運転管理者講習が行われました。その中で、日向市の刀匠(刀鍛冶)松葉さんの講演が行われました。とっても面白いお話しでした。「日本刀と日本人のこころ」と題してのお話でした。
「日本が大事にしてきたもので日本に埋もれている力は世界に通用する普遍的な価値である。相手を力でねじ伏せるのではなく、戦わずして勝つ事が極上である。意識が、“外へ”ではなく“うち”へ向かい、自分の中の最高の物を育てて行くことが、武道の本質である。」
以上

プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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