平成20年8月度の課題図書は、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2/武田邦彦著」と「“環境問題のウソ”のウソ/山本弘著」です。
 まったく、相反する2冊を読んで、塾長からの二つの問い“京都議定書は、日本の国益に反するか?”と“ペットボトルのリサイクルは地球環境保護に適していないか?”に、自分なりの回答を出すことが、この回の宿題です。
 
1.京都議定書は、日本の国益に反するか?
 回答:<否、反しない。>
 
京都議定書に多くの問題があるのは確かであり、地球温暖化をめぐっては、純粋な環境問題ではなく、政治問題として駆け引きがあり、日本はそのかけひきに負けているといえるかもしれない。日本は大局をとらえたビジョンや戦略を立てることが政治的に上手ではないようだ。
さらに、地球が温暖化していることも、温暖化がCO。などの温室効果ガスによって引き起こされているとすることも現時点では仮説でしかないし、地球の気候変動や環境変化は、もっと大きなスパンで考えないと真の原因はつかめないと思う。これらのことを前提とした、京都議定書には疑問がのこる。
しかし、京都議定書で生み出された「排出量取引」「クリーン開発メカニズム」「共同実施」「吸収源活動」等の京都メカニズムが新しいビジネスを生み出し、環境に関する様々な技術開発を誘発することは間違いないと思う。そして、これまで公害やエネルギー問題で苦労をし、乗り越えてきた日本の環境技術が環境ビジネスをリードし、地球の環境保護に寄与することと思われる。
日本は、西欧諸国との駆け引きには負けているかも知れないが、日本の優れた環境技術が世界をリードするように活かしていくことが日本の将来を見据えた最良の戦略になると思う。
 
2.ペットボトルのリサイクルは地球環境保護に適していないか?
回答:<否、適している。>
 
 現時点では、回収、運搬、分別、再資源化の流れがうまくいっていないかも知れない。しかし、実際に、ペットボトルの再生や繊維材料として再利用されているのであるから、各段階での作業精度が上がっていけば、より効率的な再利用が進み、
回収率は上がっていくと思う。ただし、リサイクルをしているという安心感がペットボトルの利用を加速させているとすれば、それは地球環境保護に反している。根本的には、ペットボトルの消費自体を控えなければいけない。大量生産・大量消費のライフサイクルからの方向転換が求められているのだと思う。ペットボトルやレジ袋の問題など、大量消費や使い捨てという生活習慣の象徴みたいなものであるから、問題視されているのだろう。3R(Reduce, Reuse, Recycle)の中でも、特にReduceとReuseと進めなくてはいけないという点に関しては、両者とも同意するところではないかと思う。企業としては、消費が旺盛にならないことには、生産量・販売量の拡大は見込めないというジレンマもあるが、個人的には、資源の無駄使いにつながるような消費は控えていきたい。
 
3.2冊を読み終えての感想
 武田氏の著書には多くの誤りがあるかも知れないが、大事な指摘もしている。日本の官僚には省庁を超えたグランドプランがないこと、競争的研究資金という縛りによって大学における研究が短期的視野によるものになりつつあること、環境に関してもメディアバイアスによって誇張的な報道がなされていること、などだ。
 そしてなにより気に入ったのが、限りある資源やエネルギーを大事にするために、「愛用の5原則」というものを提唱していることだ。機能さえ満たせば良いと、つい安いものを求めてしまう。そして、使い勝手が悪くなるとすぐ次のものを買いに走る。どうもそういう大量消費の罠にはまってしまっているようだ。
 多くのものに囲まれて生活をしている現代だからこそ、購入の際に、より吟味をして、心をこめて作られたものを選び、最後の最後まで大切に使うということを大事にしていきたいと思う。そして、作る側としても、魂を込めて作っていくことを社風にしていきたいと思う。
 
 昨日、福岡同友会の会員で、北九州で歯科技工士をしている松本さんが、我が社を訪問されました。松本さんとは福岡県中小企業家同友会の経営フォーラムに参加した時に同じグループで討論を行った仲間です。 
 しかし、そのたった一度の出逢いを大切にし、車で4時間もかけて、わざわざ我が社に足を運ぶなんてさすがです。
 業界で使用されている器械や業界そのものに問題意識を持っており、その話をたくさん伺いました。機械の開発ができないか?という問いかけも頂きました。
 
その後、場所を移し、一緒に食事をしながら、様々なお話を伺いました。出逢いを大切にし、つなげていく姿勢に多くの事を学ばせて頂きました。世の中には、すごい方がいるものです。それまで気付かなかった事、考えもしなかった事に気づかせて頂くのも、出逢いの素晴らしいところです。本を読んだり、人と出会ったりすることで、自分の狭い世界を少しずつでも広げていきたいものだと、あらためて考えました。
以上

社員への手紙 その9

2010年11月 9日 06:30
            

 

今回は平成14年6月30日に書いた手紙です。
 
拝啓
 梅雨に入り、雨の多い毎日が続いています。 雨天のあいだの晴れ間も不快指数の高い天候です。 梅雨明けも間近ですが、お体には十分お気をつけください。
 
 ワールドカップサッカーも大詰めを迎えました。ブラジルとドイツが決勝を行います。
 日本は初出場でよく頑張ったと思います。4年の間に世界の中で戦える力をよく蓄えたと思います。選手一人一人のレベルアップに加えてトルシエ監督の指導力も大きかったのではないでしょうか。
 トルシエ監督のチーム理念・指導方針は非常に印象に残りました。
 ①もっと自己を表現すべし。②自らの責任と判断で行動すべし。③人間としての「経験」を積むべし。④国を出たら己こそ国家の代表と意識すべし。⑤成熟した大人のエスプリ(精神)を持つべし。
 会社に置き換えると、以下のようにいえると思います。
 ①自分の考えを言葉に出して言いましょう。②人からの指示を待つだけでなく自分から考えて行動しましょう。③いろんな事にチャレンジし、いつも学びましょう。④現場に出たら、会社の代表として行動しましょう。⑤大人として社会人としてお互いを尊重し合い高め合いましょう。
 
 「選手は精神的にも大人にならなくてはいけない(何事も経験だ)」と、遠征先では孤児院を訪問させたり、「外出令」を出したりしたそうです。
 個人個人が自立することを目指していたのだと思います。チームの目標を達成するために、一人ひとりが何をし、自分をどう生かすべきかを考えなくてはいけない。そして、お互いが大人として話し合い、尊重し合い、結果を出すために協力し合って行く。ということだと思います。お互いに主張すべきところは主張し、改めるべきところは改める。そういう関係を作っていきたいと思います。私に対する意見、提案、忠告、批判、なども受け付けています。皆さんと一緒に高いレベルで戦えるすばらしいチーム作りをしていきたいと思います。
 
 一人一人が自立して、自らが燃えて動く人間の集団が理想です。
 いつも前向きな気持ちをもって、自分がまずやってみる。 自分の殻にこもらず、いつも挑戦して自分を成長させていくようになりたいものです。
 会社でやっているいろんな活動や行事も、取り組み方次第ですべてそのための役立つと思います。 自分の人生を充実したものにするために!
 
 敬具
 
 組織・集団の活動は、スポーツに例えると、とってもわかりやすく、考えやすくなります。
 今月号の致知に野村克也さんと村上和雄さんの対談が載っています。その中での野村さんの発言です。「 弱いチームはどうしても個人成績優先主義になりがちです。フォア・ザ・チームという精神が薄いんです。最近は、“まずは自分が打つことでチームに貢献したい”といった発言をする選手が多いですね。
 弱いチームがそういう意識でやっていたのでは、絶対に勝てません。自分はチームが勝利するために何ができるのか、何をすればいいのかを考えてプレーするような選手が増えないと、強くなりません。 」
 しかし、その後に、次のようにも言っています。「 組織はリーダーの力量以上にはならない。 一番力を注ぐべきは監督が成長すること。」 
 結局は、組織はリーダー次第、トップの責任は重いということですね。
以上
 

石川洋先生の言葉

2010年11月 8日 08:00
            

 

 月曜日は、これまでに出逢った言葉で、こころに残っているものも書きとめていきたいと思います。まずは、石川洋先生の言葉から。
 数年前に、延岡で第37回商業界九州ゼミナールが開かれた事がありました。その時に、素晴らしい方々がお話をされていたので、会のメンバーでもないのに、最前列に座りセミナーを受講しました。その中の1人が石川洋先生でした。とっても有名な言葉なので、知っている方も多いかと思います。ずっと以前に、あるお客様のトイレに貼ってあり、少し場違いかな?とも思いましたが、印象に残っていた言葉です。
 
         自戒
辛い事が多いのは、感謝を知らないからだ
 苦しい事が多いのは、自分に甘えがあるからだ
 悲しい事が多いのは、自分の事しか知らないからだ
 心配する事が多いのは、今をけんめいに生きていないからだ
 行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ
 
自分に不都合が生じた時に、どうしても周りや他人を変えようとして、変えられずに悩んみます。社員さんに対しても、こうするべき、こうあるべき、と変わる事を要求していると、苦しくてたまりません。なぜ、わかってくれないの? どうしてできないの? 人の考え方や価値観は様々だという事はわかっていても、それを受け入れる事が、会社のビジョンや目標をあきらめることにつながるような気がして、自分の考え方を主張します。そうすると、気持ちまでもが離れて行きます。ぽつんと1人ぼっちになる事もあります。
 
自分をさらけ出し、自分が変われば楽なのに。よろいを脱ぎ捨て、裸になって向かい合えばいいのに。自分にもこうありたいという理想をもとめます。不安や不満を口にする自分の弱さを出したくない。弱音を吐きたくない。だから、がむしゃらになって前だけを見て進み続ける毎日。不器用な自分にはそれしかできないと、自分に言い聞かせながら。
 
 現在まで、会社が継続してきたのはお客様のおかげ、社員さんのおかげです。しかし、これまでの成功体験を守り、延長線上で物事を考え、自らが変わらずにいて、これからも継続していけるほど、世間は甘くない。人は安定を求める、変わりたくない。しかし、常に変化している環境に応じて、変わるべきところは、ためらわず変えて行かなくてはいけません。
それを社内で共有するためには、嫌われても、1人になっても、言い続けなくてはいけないときもあります。
 
 辛い、苦しい、悲しい、心配、行き詰まり、逃げ出したくなる時もあります。しかし、その時は、自分の足りない部分に気づき、自ら変わり、成長するチャンスが訪れたのだと考えたいと思います。
以上
            

 

当時、日向高校ができたばかりで、日向高校へ行きたいという気持ちがありました。会社は創業してまだ8年目で、経営的にも厳しい時期だったと思います。
担任の先生に相談をしたところ、奨学金も受けられるし、学院高校へ行った方がいい、と強く勧められ、それならと学院に行く事にしました。高校生での担任の先生は、大坪先生でした。化学の先生で、空手の顧問もしている規律正しい先生でした。教室で足刀をして見せたり、居眠りをしている人がいると黒板を正拳でついてみたり、すこしこわもて(?)でした。
 
 高校時代も寮生活を送りました。高校3年生の時には篤寮に入らせて頂きました。木造2階建ての寮でした。学校まで道を隔てて歩いて1分という最高の環境でした。ただ、隙間風が入り、黄砂の降る時などは、机の上にうっすらと砂が積もるような寮でした。そんな環境がなんとなく、楽しくもありました。
 
 一番の思い出は、運動会です。棒倒しや騎馬戦など、迫力ありました。ちなみに日向学院の棒倒しは映画になった事があります。また、なぜか仮装行列もありました。遊び心があったんでしょうね。 当時は、女子高との交流もあり、フォークダンスには、女子高の生徒が参加していました。女子高生との交流はどうしていいかわからず、ドキドキでしたね。
 貴重な青春時代はそうして過ぎて行きました。
 
 高校生時代は、本を読むのが好きで、よく寿屋の書籍コーナーへ出かけて行きました。本を買うといえば、小遣いをもらえたのもあったからだと思います。いまだに本屋にいって時間を使うの好きです。現在は、手軽にアマゾンで買う事が多くなりましたが、あてもなくすべての書棚を見て歩きながら、面白そうな本を探して歩くのもとっても幸せな時間です。
 
 高校では、国立理系を志望しましたが、どちらかというと英語や国語が得意でした。父の仕事の関係もあって、無意識のうちに技術系や理系を目指さなくてはいけないと思いこんでいたのかもしれません。後を継げと直接親父からいわれた事はありませんでしたが、両親やの期待や周囲の目もありました。 何かにつけ、長男として、親の期待にこたえなければいけないという気持ちは、子供のころから自然と持っていたようです。
 
 ただ、一方で、自分の人生それでいいのか? 親の敷いたレールの上を走ればいいのか?という事はいつも考え、悩んでいました。かといって、大きく反発する事もなく、ぐれる事もなく、また、それが自分のなかで、大きな悩みともなり、加藤諦三さんの本などを読んでいたのもこの時期だったと思います。
 
続く・・・                       以上

植松さんの講演会

2010年11月 6日 04:33
            

 

 11月1日に行われた「ものづくり講演会(思うは招く~夢があればなんでもできる!)植松電機 植松努さん講演)」のまとめができていなかったので、今日のブログではその事について、書こうと思います。以下に植松さんが講演でお話しされた内容を記します。
 
 いま、頑張れない人、どーせ自分なんて、と考える人が増えてきた。頑張れないと、人から奪うようになってしまう。自信が無い人は、「評論」をして他人の自信を奪う。
 
 本当はみんな前向きだった。誰かがあきらめ方を教えている。日本で仕事が無くなってきているが、これから必要とされる人は、次のような人。“やった事が無い事をやりたがる人”、“あきらめない人”、“工夫をする人”。
「どうせ無理」ではなくて、「だったらこうしてみたら」と考えてみよう。
 
「よりよく」を求めなくなった人、ミニマム・マキシマムという考え方を持つ人が増えている。よりよくをもとめなくなったとき、社会はだめになる。
給料分だけ働いていると、給料分の人間で終わる。手加減をした働き方をしていると、手加減をした人生の生き方になり、人生の時間がもったいない。
 
「がまん」とはぐっとこらえて、いつか必ずより良くする事。
人は足りないからこそ、助け合う。足りないからこそ、好きな事をのばそう!
「大好きなこと」が、人を助けられる。大好きな趣味があると世界中の人と仲良くなれる。
 
欲しいものと出逢った時、何で欲しくなったのかを考えよう。
 いやな事はあきらめないで、何でいやなのか考えよう。そこから発明が生まれる。
 「わからない事」を、そのままにしなければ、できるようになる。
 特別だと必要とされる。普通だと比べられる
 
できる事しかしないと、成長できない。
 失敗したら、成功するまでやればいい。そうすればできるようになる。
 
夢と仕事は違う。「夢」は大好きなこと、やってみたい事。「仕事」は人の役に立つ事。
 大好きな事、やってみたい事が人の役に立つことになった時、夢と仕事が一つになる。
 「夢」はたくさんあった方がいい、中途半端だって何もしないよりまし。
 
できるかどうかわからない事を夢として持つ事はくだらないことではない。
 本当にくだらない事は、「何もしない事」「人をばかにする事」「やらない言い訳を言う事」
 
「明日のために、今日の屈辱に耐えるんだ」 理想を追うのは大変だ。悔しい事がたくさんある。いったんは、泣きながら、退きながら、立ち止りながら、しかし、そこから学ぶことが大事。
歴史は1人が変える。1人1人に素敵な未来がある。
 
 
 植松さんは、自分の体験から培われてきた人生観から、夢や思いの大切さを語り、自らも追い続けています。これまで、多くの批判や中傷を受けた事だと思います。多くのつらい思いをしてきた事だと思います。だからこそ、今の思いに達して、それが夢を諦められない理由となっているのだと思います。その思いがひしひしと伝わってきます。共感する部分がたくさんあります。子供たちの未来を希望ある明るいものにする義務が私達大人にはあると考えさせられます。そのために夢を語る事をやめてはいけないと思います。
 
 植松さんだからできることだ、とても私にはまねできる事ではない、と考えるのではなく、自分のできる事を、できる範囲で、実行していきたいと考えています。そうしないと、“感動(感じて動く)”、した意味がなくなると思うから。植松さんの思いを受け止めて、繋いでいきたいとおもいます。
 
 昨年は年間370回の講演をこなしたという植松さん。ときには、自分の体にも気を配ってください。健康でいてください。日本のために、将来を担う子供たちのために。
 
以上

プロフィール

島原俊英

名前: 島原 俊英
(しまはら としひで)
年齢: 1962年11月23日生まれ(47歳)
家族: 妻、息子、リーフ(ミニチュアダックス)
趣味: スポーツ全般 & 読書
特技: 少林寺拳法 3段

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